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首都としての東京の意味

わが国は古代において、持統天皇による藤原京(694年)、元明天皇による平城京(708年)、そして桓武天皇による平安京(794年)と、遷都を頻繁に繰り返してきました。

平安京は、以後1000年以上にわたって宮廷と貴族の所在する都でした。

しかし、天皇の居所ではなく、幕府でいえば、わが国は平安時代以降も、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と比較的頻繁に移動しています。

しかし、いずれの時代も、平安貴族の優美な文化、鎌倉武士の質実剛健な文化、絢爛たる安土桃山文化、江戸の商人・町人文化など、その担い手の変化とともに独自の文化を持っており、「遷都」とともにひとつの文化時代が形成されてきたことは明らかです。

しかし、単に行政の中心があるというだけではなく、首都らしい計画された都市構造を持ち、象徴的な都市景観、建築があり、文化面でも国の中心となるという意味で、単にわが国の都とみなされたのは、何といっても京都でしょう。

それに次いで明治以降の東京です。

そして、現代的な意味における首都といえるのは、東京をおいてほかにはありません。

ただし東京は、西欧のほとんどの都市と同様に、法的に決められた首都ではなく、事実上の首都のひとつでしょう。

首都としての東京の意味 その2

明治政府は、帝国憲法で東京を首都と特定せず、戦後の日本国憲法でも首都を特定する条文はありません。

明治政府は江戸を東京と改称し、天皇を旧江戸城に移しましたが、遷都を公布せず、諸外国に対しては東京市の開市宣言をして東京を事実上の首都としたにすぎないのです。

また、戦前の皇室典範では、依然として天皇の即位式は京都で行うと定められていました。

その意味で東京は、あらかじめ「機能」としての首都だったのです。


東京を首都と定めるに至った条件は、主に以下の7つのことがあります。

(1)北海道開発によって日本の重心が東方に移動したこと

(2)地形的に大規模な都市の建設が可能であること

(3)大阪に比べて面積が広いこと

(4)江戸城や藩邸を活用できること

(5)江戸湾が良港であったこと

(6)維新後衰退した江戸の振興の必要性

(7)内陸交通の幹線である五街道が日本橋を起点に整備されていたこと


かくして東京は、急速に首都としての体裁を整えていきます。

早くも1872年に新橋~横浜間に鉄道が開通。

74年には、銀座に西洋の街並みを模した煉瓦街ができました。

鹿鳴館(1883年)、初の西洋式公園・日比谷公園(1903年)なども建設され、驚くべきスピードで西洋化を実現していくのです。

1886年に立てられた中央官庁集中計画の背景には、欧米との不平等条約の改正を目指してわが国の国力を誇示しようという意図があったといいます。

首都東京の整備が、そのまま西洋の列強に伍していくための近代国家日本の独立と発展に深くかかわっていたと言えます。

首都としての東京の意味 その3

このように西洋からさまざまな思想、文物を学び、それを具体的に実現してみせるのが東京の役割でした。

したがって東京には、政治機能だけでなく、経済、産業、学術、文化など、およそすべての機能が集中しなければならなりませんでした。

江戸時代には100万人を超え、世界一だった人口は明治維新直後80万人台に減少しましたが、1884年には100万人に回復。

1900年には200万人となり、さらに大正時代には好景気によって人口が急増、1920年には370万人、1930年には540万人にまで増加しました。

また大正時代以降、「大東京」という言葉が使われるようになり、大正モダニズムの風潮の中でアメリカ型の大衆消費文化が生まれていきました。

ただし戦前までは大阪市の人口も東京とあまり差がありませんでした。

1920年の東京で、現23区に相当する地域の人口は336万人であったのに対して、大阪市は179万人であり、東京のほぼ半分を占める傾向は1940年まで変わりません。

ところが戦後になってから高度経済成長とともに東京への集中傾向が強まり、現在は東京23区の人口797万人に対して大阪市は260万人です。

戦前までは東京、大阪の二都体制であったのが、第二次大戦後の高度成長期において本格的な東京集中を見た結果です。

このように東京は、明治以降の近代化の中で、政治、産業、消費、文化などさまざまな面で日本の中心となりました。

そして第二次大戦後、敗戦からの復興を目指す日本の中で、東京はますますわが国を代表する首都となりました。

東京タワーは日本全体のシンボルだったのです。

巨大な工業地帯までが東京を中心につくられました。

復興の象徴であるオリンピックは、東京でこそ開かれねばなりませんでした。

そしてオリンピック以後、東京には、広範な中流階級の成立とともに、本格的な大衆消費文化が花開くことになったのです。

近代国家の首都から地球時代の首都へ

首都に相当する都市は、古代から存在してきました。

しかし、わたしたちが現在イメージするような意味での首都は、とくに近代以降の時代において、国民国家としての統合の象徴として、またその国の国民文化の発現の場として大きな役割を果たしてきたものです。

それは、国家間が領土やイデオロギーのために対立・競争し合い、場合によっては戦争の遂行を前提とした帝国主義の時代の国家における強力な政治・軍事の中心としての首都であったと言えます。

とくに第二次大戦時のベルリンや東京などは、そうした「帝国の都」の典型でしょう。

しかし今、東西冷戦構造が崩壊し、近代国家成立以前の民族間紛争が世界各地で起こっています。

また、アジアなどの諸国が急速に発展を遂げている一方で、地球環境問題が叫ばれるなど、これまでのように国家単位での利害追求を前提とした世界運営には限界が生じています。

むしろ、これから21世紀以降、新しい国家・民族のあり方を問うべき時代、地球文明構築の時代が到来しており、その意味で首都というものも、まったく新しい視点から考え直されなければならないでしょう。

とくに、近代産業国家としての繁栄に成功し、世界有数の経済大国となったわが国がこれから建設しようとする新首都は、近代の成果を踏まえつつも、近代産業社会のもたらした諸問題を解決していく首都、21世紀以降の都市、社会・産業・生活のモデルとなるような首都でなければなりません。

すなわち、それ自体がこれからの世界および人類への貢献であるような首都でなければならないのです。

地球時代における新首都像

都市は、人間の諸活動が最も集中する場所です。

それは、都市を創造するために、人類がその時代の最高の知識、技術を活用し、膨大なエネルギー、富、時間を注入してきたからです。

したがってその時代に最も勢いのある都市は、その時代の文化を象徴します。

ハプスブルグ家のウィーン然り、1930年代のロバート・モーゼスが再開発したニューヨーク然り、ナポレオンⅢ世時代のオースマン男爵のパリ然りです。

したがって今、新首都の都市像を考えるとすれば、それは従来の成長の延長線上にある都市ではなく、人類にとって新しいパラダイムを象徴するような、地球時代の文明を考えたものでなくてはなりません。

tokyo.jpg

地球時代における新首都像 その2

新しい全国総合開発計画の基本的な考え方である『21世紀の国土のグランドデザイン』(国土庁、1995年)も、以下のようなことを述べています。

「人類の経済社会活動の規模の拡大や技術革新による人、物、情報等の移動に関する時間・距離の大幅な縮小、冷戦構造の崩壊による国境の垣根の低下等から、今や地球全体が様々な意味において一つの圏域と化しつあり、国内問題が地球規模での問題と直結する傾向がますます強まっていこう」。

「地球時代」とも言える21世紀においては、新首都には、わが国の首都であると同時に人類共通の都市としての首都という側面を強く打ち出したグローバルな視点に立ったコンセプトが求められます。

いい換えれば、これから考えられる新首都は、わが国が21世紀を切り開く象徴として位置づけるものであり、近代産業文明の時代における首都ではなく、近代産業文明の諸問題を解決し、新しい、より人間的な産業文明を実現する首都であり、さらに地球市民に貢献する首都とするべきです。

そのためには、単に一国家の利害からではなく、広く人類文明の行く末を念頭に置いた視座から、その都市像を考えていく必要があると思います。

こうした認識を踏まえ、地球時代の人類と文明に貢献する首都像として「環境文化首都」を提案します。

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「環境文化首都」のコンセプト その2

日本は欧米に遅れて産業化を開始し、欧米を追いつき追い越すために欧米よりも短期間で急激に産業化を進めました。

そのために、農業社会から工業社会への転換が非常に短期間で行われてきました。

イギリスの人口に占める都市居住人口の割合が50%を超えるのは、1851年です。

アメリカでは1920年、それに対して日本は1960年頃です。

就業人口に占める農業人口の割合も、アメリカでは1870年から1920年にかけて、50年間で53.5%から27.4%に半減したのですが、日本では1947年から65年のたった20年弱で、53.4%から24.6%に減少しています。

イギリスでは1861年段階で、すでに26.9%です。

このように、日本では戦後から高度経済成長期までの極めて短期間に、農業社会から工業社会に変わったのです。

このような農業社会から工業社会への急激な転換のために、日本は自然環境の破壊の程度も急激であり、日本古来の自然景観や落ち着いた町並みも急速に失われました。

つまり、経済・産業と、人間や自然との調和を充分に図っていく余裕がなかったのです。

しかし現在、生活水準ではほぼ満足のいく状態になったために、日本人の多くは、心の豊かさを求め、よりゆとりや潤いのある生活を求め始めており、高度成長以前の美しい自然景観や町並みを、少しでも取り戻したいと考えるようになってきています。

経済・産業と、人間、自然、環境、生活が調和した、「環境文化」とも呼ぶべきリネンの実現が求められ始めています。

「環境文化首都」は、その理念を実現する首都なのです。

安全に安心して暮らせる「環境共生都市」

環境文化首都は、地球レベルでの環境、資源、エネルギー問題に対応しつつ、経済発展を持続可能にし、人々がより安心して安全に暮らすことのできる生活を実現する首都です。

19世紀以降、とくに日本では、戦後における急激な都市化・産業化が、自然環境のみならず、都市のなかの生活環境をつねに悪化させてきました。

さらにこの4半世紀ほどの間に、東京、大阪などの大都市だけでなく、地方の中小都市や郡部などの都市化も進み、日本の国土全体が非常に都市化されてきています。

ライフスタイルも都市化されてきています。

地方の人々も、空調設備をはじめとするエネルギー多消費型の家電に囲まれ、高層マンションに住むようになりました。

自動車に乗り、ロードサイドのショッピングセンターで買い物をする、というアメリカの郊外のようなライフスタイルも、大都市圏の郊外から地方都市の周辺部に広がっており、いまや地方の方がそうしたライフスタイルをリードするほどになっています。

日本は天然資源に恵まれない資源小国です。

そのためこれまでは原材料を輸入し、それを加工し、輸出するという産業構造を持っていました。

しかし最近は、周知のように、日本の産業の海外進出が目立ち、生産拠点が中国、東南アジアなど世界に広がっています。

しかし、日本が発展するために、世界の環境を悪化させるようなことがあってはならないでしょう。

開発途上国が資源・環境問題を放置したまま経済成長を遂げれば、人類の危機が訪れることは明らかだからです。

そのため開発途上国には、経済発展と環境保護を両立させながら、持続可能な開発を進めていくことが求められています。

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