首都としての東京の意味 その3
このように西洋からさまざまな思想、文物を学び、それを具体的に実現してみせるのが東京の役割でした。
したがって東京には、政治機能だけでなく、経済、産業、学術、文化など、およそすべての機能が集中しなければならなりませんでした。
江戸時代には100万人を超え、世界一だった人口は明治維新直後80万人台に減少しましたが、1884年には100万人に回復。
1900年には200万人となり、さらに大正時代には好景気によって人口が急増、1920年には370万人、1930年には540万人にまで増加しました。
また大正時代以降、「大東京」という言葉が使われるようになり、大正モダニズムの風潮の中でアメリカ型の大衆消費文化が生まれていきました。
ただし戦前までは大阪市の人口も東京とあまり差がありませんでした。
1920年の東京で、現23区に相当する地域の人口は336万人であったのに対して、大阪市は179万人であり、東京のほぼ半分を占める傾向は1940年まで変わりません。
ところが戦後になってから高度経済成長とともに東京への集中傾向が強まり、現在は東京23区の人口797万人に対して大阪市は260万人です。
戦前までは東京、大阪の二都体制であったのが、第二次大戦後の高度成長期において本格的な東京集中を見た結果です。
このように東京は、明治以降の近代化の中で、政治、産業、消費、文化などさまざまな面で日本の中心となりました。
そして第二次大戦後、敗戦からの復興を目指す日本の中で、東京はますますわが国を代表する首都となりました。
東京タワーは日本全体のシンボルだったのです。
巨大な工業地帯までが東京を中心につくられました。
復興の象徴であるオリンピックは、東京でこそ開かれねばなりませんでした。
そしてオリンピック以後、東京には、広範な中流階級の成立とともに、本格的な大衆消費文化が花開くことになったのです。